水曜日, 8月 26, 2009

地元学の尊師。

昨日、地元学の尊師、吉本哲朗さんにお会いした。

エコウォークの相談のためである。
自己紹介の後、企画書・資料で、
説明を始めようとすると、表紙を見て一言、
「よくわかんねぇなぁ、」
(はぁ??まだ説明してませんけど・・・)

よ:「ちっとも惹かれねぇなぁ。おもしろくねぇんだよ。まじめすぎ。」
た:「はい」??
よ:「欲に訴えろ!よく、わかるか?」

と、面食らうことしきり。
でしたが、要は、大義を訴えるんではなくて、
人が呼び込まれる、共感を呼ぶ訴えかけをしろって言うことだった。

次々と、繰り広げられる、吉本さんの独特の世界に目をぱちくりしながら、話に食いついていった。

「もっと文章じゃなくて、感性に訴えなきゃ。文字じゃないんだよ、絵とか、歌とかで表現しろ」
といわれたので、さっそくノートにかきかき・・・
吉本さんの顔を描いてみた。
それまで仏頂面だった吉本さんの顔が
ちょっとほころんだ気がした。

ホームレスか、哲学者かとよく聞かれるらしい。
確かになぁ。
ということで、寝床のベンチも書き加えてみた。











尊師曰く。
「風の景

土の景

水の景

光の景
を、みろ」と。

「目の前に見える当たり前の風景が意味を持って立ち上がってくるんだ!」
と。

風の景、って、風景じゃん。と思ったのですが、
たとえば、樹木が斜めに偏っていたり、屋敷森があったりする景色を見て、
そこに今現時点で吹いていない風の道が見えてくると。

家の南側の前が庭になっている間取りをみて、縁側が開いている様子を見て、
光の道が見えると。

なるほどねぇ。
水も、土もしかり。か。

尊師曰く。
「何で歩くんだ?」と。

え?
「五感を取り戻すためです。」

「そもそもを考えてみろ。」
(はい。)
「そもそもは・・・いいか、記録しろよ。
人は歩く、太古の昔。
人は森に暮らしていた。
遊び動く、半分定住しながら。歩いた。
食べ物、水を求めて、家族のため、部族のために。

歩く距離・範囲は10kmぐらいだった。

これが弥生時代になると半径5kmぐらいに。
農耕ができるようになったからだ。
現代は、車で1時間半以内だ。

なぜ人は歩く?

食べ物と水を求めてだ。

人は生きるために歩いたんだ!」
と。

「今、人はなぜ歩くか。
歩くことは生きることだった。
この遺伝子が体内に組み込まれている。
これを取り戻そう!
ということなんだ。

生きるチカラ、歩くこと、
これだ!」
と。

なーるほどねぇ。

そのあと、エコウォークの話だけでなく、
たけはる米のこととか、アイヌの話とかしているうちに
あっという間に2時間がたった。

あー愉しかった!

吉本さんからも、「楽しかった」って。
おもっしゃくて、暖かいかたでした。

出会いに感謝。

PS.
結局、企画書はほとんど開かれず、表紙だけで話が終わりました。

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